不登校クラス(小学生~中学生程度)について

不登校や登校拒否、そしてひきこもりという現象が報告されはじめたのは1970年代あたりからですので2020年現在で約50年ほどが経過しようとしています。その間、学校カウンセラーの設置やフリースクールの登場など様々な取り組みがなされてきました。不登校やひきこもりを一方的に悪とみなしたかつての時代と比べれば、少しずつですが社会は変わりつつあります。

ただ一方でそうした対策は十分であったのかと言えば必ずしもそうではありません。

実際、不登校やひきこもりと呼ばれる子供たちの数は横這い、または増加傾向にあります。文部科学省が調査を始めた平成10年度では小学生では20,617人、中学生では101,675人、20年後の平成30年度では小学生が44,841名、中学生が119,687人と不登校の生徒の数が小学生で増えてきているようです。こうした状況は、子供たちを受け入れている学校、教師、そしてそれらの管理や採否を行う自治体、教育委員会、国などの問題が放置され何の解決も見られなかったことの象徴なのかもしれません。そして私たち自身が炭鉱のカナリアたちの声を聞こうとはしなかったのかもしれません。様々な口実を探すことで――、不作為に耽り雑事にかまけることで――。

そもそも不登校やひきこもりは主に教育、医療、福祉という3つの分野が共同して取り組むべき課題なのですが、そのいずれもが元々の守備範囲ではないためか、ともすればたらい回しや責任回避に終始してしまい「とりあえず様子をみましょう」「とりあえず見守りましょう」「とりあえず待ちましょう」という形で不登校やひきこもりで苦しむ子供たちが置き去りにされてきた傾向も否めません。が、その一方で社会の関心は薄く、個人の自己責任や家庭の問題とされて孤立してしまい不登校が長期化するようになっています。

不登校だけがその原因ではありませんが、内閣府の調査では40歳~65歳のいわゆるひきこもり状態の方は約61万人と推計され、「8050問題」「7040問題」などと呼ばれるような社会問題となりつつあります。そのせいもあるのか非人道的、暴力的な更生施設や利益目的の引き出し屋と呼ばれる個人や団体が横行しているのも事実です。


一連の問題で最も重要なのは、子供たちの学びや社会に触れる機会が奪われ、尊厳が傷つけられているという点です。

一説によれば、義務教育課程の子供たちには毎年ひとりあたり約100万円のサービスが提供されているそうですが、不登校の子供たちはそうした恩恵を受けることができていないということでもあります。また経済的観点だけではなく他者や社会と触れ合うことで自己肯定感や社会に対する信頼を培う機会も失いかねないということでもあります。もし保護者が大がつくほどの資産家であったり、経済力がなくとも人並外れた情熱と能力があれば公教育を経験せずとも良い教育ができるのかもしれません。不登校をポジティブに選択できる人もいるでしょう。

が、やはりそうした事例はごく一部の例外ケースなのでしょう。
どのような人であっても社会との軋轢やしがらみと無関係に生きていくことなどできはしないのですから――。

そして多くの不登校やひきこもりに悩む人々が自らの意思でそうしているように見えて実は「不登校やひきこもりの状態にさせられている」という主張があることを忘れてはならないと感じます。

不登校クラスについて(さいたま市のプログラミング教室ロボ団北浦和校)

小学生から大学生くらいまでの年代であれば、いわゆるモラトリアムや猶予期間と許容されることも多く、抱えている悩みはあっても問題が先鋭化はしないのも確かです。両親をはじめとする保護者や学校が質や程度の差はあっても守ってくれているからです。しかし、それは永遠に続くわけではありません。実態はどうあれ年を重ねれば学校は卒業したことにされ、一方で親は年を取っていくからです。そしてただでさえ少ない支援の手がさらに少なくなっていったときに子供たちは自分自身に大きな負債を負わされていることに向き合わざるを得なくなります。その時にはもう手遅れ……とは言いません。まだ十分に間に合うとは思います。しかし社会との隔絶が長くなるほど将来的には大きな困難に直面することは想像に難くはありません。また全ての人々がそうした困難を自助努力だけで克服できるのかと言えばそうではないのもまた確かでしょう。

一方で日本の憲法の三大義務の一つとして「教育の義務」があります。
これはよく誤解されているのですが「子供たちは学校に行かなければない」とか「子供は学校に行くことが義務である」ということではありません。「保護者が子供たちに教育を受けさせる義務」なのです。ここで言う保護者とは狭い意味で言えばいわゆる血縁の両親ということになるでしょうが、社会全体で子供たちを育てていくという広い意味でとらえれば社会の先達である私たち自身とも言えるでしょう。何より教育機関である以上は当校もそうした使命を帯びていると考えています。

マンガ 義務教育とは「保護者が子供たちに教育を受けさせる義務のこと」

かつて「人はパンのみに生きるにあらず」と言った宗教家がいました。
現代の日本では宗教そのものが持つ矛盾や限界、そして腐敗や堕落から怪しげなものと忌避され、経済性と効率だけが追及されるようになりました。当校はいかなる宗教とも関係はないのですが、図らずも不登校やひきこもりはこのパンに関わる論議でもあると感じます。それは現代的文脈に即して言えば、生産性や勝利のみを至上とする考え方との葛藤が不登校やひきこもりとなって表れているのではないかということです。

人が人である以上、パンは必要でしょう。しかしパンのみに縛られてはならないとも思います。
勝利至上主義や生産性や生殖性のみに縛られた価値観からからはいったん離れ、それを踏まえ押さえつつも、それに縛られない自由で安らかな境地への第一歩を踏み出すこと、それが不登校やひきこもりへの解決の糸口ではないかと感じています。

当校の不登校クラス(小学生~中学生くらいが対象)では必ずしも即物的な結果、すなわち「学校に行けるようなること」や「働けるようになること」をゴールとはしていません。当校が目指すのは「子供たちがやがて大人となったときに自信と主体性を持って生きていくことができるようになる『心の芯』を作ること」です(逆に言えば、意識的にしろ無意識的にしろ、誰かに巧妙に言いくるめられた形で社会に適応することをよしとするとは考えてはいません)。そのために微力ですが当校では、さいたま市という地域に根差した形で家庭や学校以外のオルタナティブな居場所の一つを提供したいと考えています。また基本的には通常の生徒と同等の授業を行うことで「子供たちが傷つき、失われつつある尊厳と希望をまずは取り戻すこと」も目指しています。

様々な制限や限界があるにしても、当校の授業がお子様の「居場所」のひとつとなり、何かのきっかけになることができれば望外の喜びです。


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※なおロボ団として用意されているコースは基本的には小学生を対象にしています。中学生以上の場合、彼らに合わせた形で内容の高度化やアレンジ(発表やディスカッションなどコミュニケーションに関するトレーニングの重点化や学校の授業の補修など)を行う予定です。

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